上には上がいる でも目指すのは自分自身の理想で良いと思う
人それぞれ
RPGでいうところのパラメータは違う。
人生をRPG的に考えてみる【自分という勇者を育てあげる】 | kyouの今日どう〜ブログ (kyoudoublog.com)
それまでの人生での経験だったり努力だったり、いろいろな要素で。
ある意味、赤ちゃんの頃はそんなに違わなくても
年月が経てば経つほど、その差は広がっていくのかもしれない。
正直
限界まで努力したとして
誰もが野球の大谷翔平選手のようになれるかといったら
なれないと思う。
残酷かもしれないけれど
適性がないものに関しても
トップレベルになるのは難しいかもしれない。
向き不向きがあっても寛容な社会の方が良いなと思う話【努力しても向いている人に勝てないとしても】 | kyouの今日どう〜ブログ (kyoudoublog.com)
例えば陸上競技だと差がわかりやすいですが
100人で1000m走をしたら
1位~100位まで順位が出る。
その中で10位以内ならかなり上の方
50位なら真ん中くらい
90位以下ならかなり下の方
というのは小学生でもわかる。
自分が50位だったとして
努力したら間違いなく順位を上げることができる。10位以内に入るのだって夢ではないと思う。
少なくとも30位以内には必ず入ることができるだろう。
順位を上げることができるのは90位だったとしてもそうだ。
だが今なら・・・今ならできる!それこそが真に年と時を重ね人生を生きるということだと思う | kyouの今日どう〜ブログ (kyoudoublog.com)
ですが残酷な話だけど
少々努力したところでパラメータ的に
ほぼ全ての要素でこの人には敵わない!というパーフェクト超人的な人もこの世にはいくらでも存在すると思う。
でも、それはそれで良いのではないかと思う。
なぜなら結局は
自分がどうありたいかという話だと思うから。
自分が欲しいものは全て手に入れることができる(可能性は十分ある)3つの手順と方法 | kyouの今日どう〜ブログ (kyoudoublog.com)
他者との比較ではなく
自分が目指す理想に向けて歩いていくことができるなら、それが一番良いのではないかと。
好きな漫画、『拳奴死闘伝セスタス』にこんな台詞があります
誰だって 小さな一歩から己の道を歩み己の頂へ登るしかないのさ
世に言う「努力」とは 「個別の頂上」を極めんと力を尽くす事だと俺は思う
…拳奴死闘伝7巻 ザファル
*少し関係のある話として、客観的事実と実践的(実感的)事実が自信につながるということを書いたことを思い出しました。
そして、そんな自分のことを好いてくれる人が自分以外に1人でもいるなら、それでいいじゃんって。
いや自分自身が自分を好きなら、それだけでもいいのかもしれない。
どんなにパラメータが低くとも高くとも、結局それでいいじゃん。
誰かに迷惑をかけない範囲であれば
自分の思う通りに楽しく生きて
できたら
それを認めてくれたり寄り添ってくれたりする人が1人でもいたら
それって結構素敵な人生だと思うのです。
そんな生き方を、これからもしていきたいと思っています。