徒然なるままに

向き不向きがあっても寛容な社会の方が良いなと思う話【努力しても向いている人に勝てないとしても】

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向き不向きがあっても寛容な社会の方が良いなと思う話【努力しても向いている人に勝てないとしても】

最近ふと
向き不向きというのはあるよなぁということを感じます。
趣味でも仕事でもどちらでも良いのですが
仕事となると、責任もありお金を貰うので
仕事を遂行する能力が求められるのは当たり前の話です。

 

前提として
もちろん自分に「向いている」ことを仕事にした方が良いとは思いますが
現状で客観的に見ると「向いていない」のだけど、その仕事をしたい、しているという方も一定数いるでしょう。

 

そして、仕事の能力を仮に100点満点として
向いていない人が30点からはじめて数年経験を積んで40点くらいになった。
一方で、向いている人は最初から60点くらいある
という話も割とよくあると思います。

冷徹に考えると
その人を雇っている所属会社としても、サービスを受ける人にとっても、最初から60点ある人がやってくれた方が良い訳ですが
かといって向いていない人が努力して能力を伸ばすことができる環境を作ることができる、寛容さもある、そういう余裕がある会社・社会の方が良いよなぁとふと思いました。

なんでもかんでも能力主義で足切りしていたら
余裕がないというかギスギスしてしまう気もします。
何年経っても成長がないなら、ちょっとそれはどうかと思いますが。

 

表面上は
平均70点以上の人が集まり、70点以上を叩き出す職場が成績も良いと思いますが
一方で
平均40点の社員の成績を平均50点に引き上げた職場があったとしたら
それはそれで評価できることだと思うわけです。

こういうことを人事評価などに反映させるのは結構難しいことだと思いますが。

 

 

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