礼に始まり礼に終わる が実行されない理由は何か?【パワハラ・セクハラ】
「礼に始まり礼に終わる」
武道の世界でよく言われる格言ですが、人間関係でもこうありたいものですよね。
最近、仕事で久しぶりに
礼がないなぁという相手がいたので
そのことについて考えてみました。
私の考え方としては
会社に依存しない。自分に依存して生きていきたい!理想では その4つの方法 | kyouの今日どう〜ブログ (kyoudoublog.com)
↑に書いたような感じで
基本的にはフェアな関係が好きです。
もし自分に凄い権力があったとしても、いわゆる権力をかさにして偉ぶることは殆どないと思いますし、そういうことに魅力を殆ど感じません。
けれど、仕事上の立場や取引先、優越的な地位や能力などで、パワハラ・セクハラなどしてくる人というのは一定数いるのでしょう。
今までもそういう人と出会ったことは多々あり、いろんな人がいます。
もちろん、そういうことをすることに(自分より立場が弱い人に強い態度をとることなど)優越感?などを感じるのは少しはわかる気もしますし、自分の身や周りに降りかかっていないのならあえて否定はしませんが(やっている人はクズだなと思う&やられている人はサッサと反撃するか転職するかすべきと思いますが)
何故そういうことになるんだろうということを分析して考えてみます。
それはズバリ、そういう悪いことや失礼なことをしても
「自分にデメリットがない」と考えているからだと思います。
安全圏からの射撃というか。
だって、例えば原始時代というか野生なら
AさんとBさんがいて、互いに憎しみ合っていたとしても
そうそう殺し合いに発展することはないと思います。
野生動物も力が拮抗しているなら基本的に無用な争いは避けます。
何故なら、相手に逆に殺されるか怪我するか、あるいは法律的に罰せられるか、いろいろなリスクやデメリットがあるからです。
そういうリスクがほぼない状態で、相手を痛ぶれるというか、そんな状況の時に、本人にはあまり悪気はなくとも傍から見たらおかしい行動に走る人というのが一定数いるのかなと。そういう人に限って安全圏から抜けたら態度は豹変しそうですが。
今回の件も、原因を分析すると相手側からしたら、自分達に多少礼を欠いた態度をとっても何もデメリットがない状況というのがありました。
近年よく問題になり、重大な事象にもつながっているネット上での誹謗中傷も、構造的には少し似ているのかもしれません。
いろんな人がいるので、まぁいちいち怒っていても無駄ですね。
付き合わないかスルーするのみと思いますが
『賭博黙示録カイジ』で有名な福本先生の『銀と金』というマンガにこんな台詞があります。
「今の気持ちをよく覚えておくんだぜ 人を殺したくないという気持ちだ」
「裏に長くいると まわりは殺したい連中ばかりだよ 誰でもそうなる…いや…お前みたいなのが一番そう思うようになるよ」
「殺したほうがいいダニども でも殺すな。オレたちは、世界を広げてなんぼの人間だ!」
「殺す人間の・・・・・・世界は広がらない。必ず閉じていく・・・!」
そういう人もいることに折り合いをつけていくのも1つの道ですね。
自分の考えとしては今のところ
そういう人がいたとしたら、秒速でグッバイ(切る)するという考え方ですが。
世の中そうできない時も多いので、そうできる力(お金)や能力(スキル)を蓄えていくと。
誰に対しても礼のある生き方をしていきたいですね(^-^)