老いたオスは何を目指せば良いのか【50歳を越えた男性の生きる意味とは】

最近2026年10月
作家の村上龍さんが亡くなった。
そして、その著書を読むと、かなり攻めた内容が多かった。
思った事を全て言うことはできない!すべての男は消耗品である【村上龍さん追悼】 | kyouの今日どう〜ブログ
ブログも何かを書くという意味では同じだから(内容も読者数もレベルが天と地ほど違うけれど)
今回は
老いたオス、人間でいうと50歳を越えたオス、男性に価値はあるのかということを少し考えてみたい。
人生100年時代ともいわれる昨今ですが
100年前の1920年代、大正時代までは日本人の平均寿命は50歳に満たなかったといいます。45歳前後(幼年期の死亡率の高さが大きいので、実際には30歳まで生きた人の平均寿命は55歳~60歳前後)
自分自身にとっても、50歳というのはそう遠い話ではない。
身体能力の面で見ると、オリンピック選手や格闘技の選手で
競技にもよりますが40歳以上の代表選手(トップレベルで争う選手)というのは相当稀です。
ただ
例えば格闘技では35歳前後までは経験テクニック等も合わせてピーク能力を維持できると言われていますし
一級の格闘技選手が、引退後もある程度のトレーニングをしていたとして、25歳の健康な素人の青年と戦ったとしても
50歳60歳でも勝てるでしょうし、70歳でも勝てそう、80歳くらいになると健康状態による、というような気がします。
これは職能等でも同じで
新人25歳より、ベテランの引退間際の65歳の方がはるかに頼りになる、という事例は数多ありそうです。
*チャットGPTに聞いてみたら
下記でした
25歳時を100としたら筋力・体力の能力は(定期的に筋トレ等をしない場合)
40歳:筋力96・体力88
50歳:88・78
60歳:78・67
70歳:67・55
80歳:58・43
90歳:43・31
・・・思ったよりは緩やか?半減以下になるのは80歳くらいからといった感じでしょうか
例えば野生生物
ライオンのオスでいうと
2~3歳で生まれ育った群れ(プライド)から追い出されて放浪し、命懸けで他の群れのオスを倒して群れを乗っ取ったとしても(4歳~6歳頃?)力が衰えたり他の強力なオスに敗れたら、また放浪へ。群れの争いで大怪我でもしたらその時点で死。群れを乗っ取ることができず死んでいくオスもいます。そしてやがて力が衰えて狩りの成功率も低くなってきたら、男1匹餓死するかハイエナやリカオン等、他の肉食動物に襲われエサになっていく・・・その寿命は10年程と言われています。メスライオンは生まれた群れに残り、雄ライオンよりは安全が確保されやすく寿命は15年程のようです
・・・野生は厳しい。
*ライオンも飼育下の安全な状況では、寿命は20年程、長生きだと25年以上生きた例もあるようです

ライオンもそうですが、人間でも50歳を越えても女性は
子どもの子ども
孫の子育てを手伝う、またはそれに準じるような誰かの世話をする
という生物学的な役割があり、男性より適性があると考えられています。
男性でも同じような役割はできるとは思いますが、何となく女性の方が適性が高い気がします。
(自分の親や、他の事例を見てもかなりそう感じます)

男性も、子どもが成人するまでの面倒を見る、という役割があるとして
では子どもが成人した後の50歳以上の男性の生きる意味とは?
ない
むしろ昔のようにある程度の年齢、40歳50歳60歳で死んだ方が自然だし
これからの若者のためになるというのも1つの意見だと思います。
個人差もありますが50歳60歳くらいまでなら、肉体的能力的衰えも致命的という程ではないです。
仕事ならポストも空くし、日本社会を考えた時に社会保障費の年金等もその人に払う必要がなくなります。
身も蓋もないですが。
無駄に長生きしている方が不自然だと。
情報が流通していなかった昔は知識を蓄えた長老は尊敬尊重されたかもしれませんが
インターネット等が発達してあらゆる情報が共有されている現代はその価値も薄いか、ない。

そもそも、上記の大正時代以前の話からすると
衰えが顕著になるような年齢になる頃にはみんなポックリ逝っていて
高齢化社会問題なんてなかったことになります。
今では人道的に~~~×××と言われるような野生的淘汰もあったでしょう。
でも日本に生まれた以上
世界トップレベルの長寿国になった日本で
そんな未知の高齢化社会を突き進んでいますが
「勝つのは氷帝です」

いつまでも日本は素晴らしいです!と言いたいです。
ライオンならこーだら何だか知らんけど
わしらは人間だし
使い物にならなくなった老人は姥捨て山に捨てろだの老害だ何だとうるせー
そんなの関係ねー
・・・
というのも大多数の意見な気もします。
工学博士の武田邦彦教授の本
『科学者が解く「老人」のウソ』
↑ では
50歳までを第1の人生、50歳から100歳までを別の第2の人生と考えて
生物学的には必要なくなったかもしれない50歳からの人生は
(事実人間以外で、生殖能力が低くなった人間でいう50歳以降で長生きする哺乳類はほぼいない)
男性は他者貢献することが生きる意味になるのではいか、というような事が書かれています。
(上記のように女性は50歳を越えても、孫等の世話を支援するといった役割がある)
武田教授は発売の2018年時点で75歳ですが
身体的健康維持も重視していて
テニスやキックボクシングを楽しんでいるといいます。
武田氏の著書で面白いなと思ったものとして
人間の潜在力を100として
トップアスリートは全盛期に80まで引き出せる、老いればそれがMAX60になるとしても
一般人は普段の生活で使っているのはせいぜい30なので老いてMAXが60になったところで大した影響はない
というものがあります。
また、昔の(昭和時代の)60歳より現在2026年の60歳は
10年かそれ以上に若く見えて実際に能力的にも若い(保っている)という話もあります。(医療・栄養・環境等の向上etc)

特に結論などはないですが
結局、他者に迷惑かけないように好きなように生きれば良いと思いますが
最後に
自分の死生観としては
ピンピンコロリできたら良いな、と思っています。
老境になっても家族や他者に迷惑はかけたくない
だから資産・お金的に困ることがないように備えておく。
これは自分のためももちろんですが、家族の助けになるためにも大事なことです。

運動面は、割と体を動かすのが好きな方なのでジムや筋トレを怪我に気をつけて生涯やっていきたいです。
自分が他者に、何か貢献できることは何なのだろうというところは
明確にできていませんが、
そのことについても考えていく必要があるのでしょう。
コミュニティ的なものの存在意義や、その中での自分の存在のあり方も大事になってくるでしょう。
少なくとも迷惑はかけないように行きたいと思っていますし
kyouがいてなんか良いな、と思われる存在にできるだけなれたら良いな、と思っています。

その上で
仮に生きる価値がなくなった・必要なくなったから自殺したいーとは思わないでしょうが
できることがなくなって、必要とされなくなって、意欲もなくなって、何だか病院で点滴につながれて、心臓だけは動いている
というような状況になったなら、サッサと死ぬのが一興なのだろうなと。
どのような状況になっても生をあきらめるわけでは全然ないですが
マンガ『天』のアカギのように
自分でタイミングがきた と思ったら
サヨナラ、できたら良いのかなと。
光栄にも大切な誰かが、自分が生きることをめちゃくちゃ望んでくれたら、違う方法も考えるかもしれませんが。










